大きく分けて2つある。
1.「自分はこうしたい」という明確な意志があること
ディレクター(演出家)の仕事には、取材・撮影・編集とさまざまな工程があるが、カメラマン、音声マン、編集マンなど、どの工程にもその道のプロフェッショナルがいる。
その人たちと一緒に、最初から最後まで演出を練っていくのがディレクターの役割。
だからこそ、「この映像で何を伝えたいか」がはっきりとした意志を持つことこそが、ディレクターに必要な能力。
極端に言えば、その意志さえ強ければ、たいていのものは面白くなる。
2.その演出意図を“理解してくれる人”がいること
これはさらに細かく「量」と「質」の二つに分けられる。
“量”とは、多くの人に演出意図が届き、広く楽しんでもらえること。
いわゆるテレビ的なヒットのあり方だ。
“質”とは、たとえ少数でも、権威ある人に認められれば、その作品を作ったディレクターも評価されること。
たとえば、ピコ太郎がジャスティン・ビーバーに評価されたように、たった一人の評価が、その作品の、ディレクターの価値を大きく引き上げることもある。
この「意志」と「理解者」という2つの条件をクリアするのが、良いディレクター。
そして、良いディレクターの中でも、このふたつの条件を意識的に磨いている“秀才”タイプと、無意識にそれをやれてしまう“天才”タイプがいる。
僕は完全に“秀才”タイプ。
もっと言うと、天才に憧れている秀才。
(秀才なのかもわからないが…)
クリエイターとして、それを認めるのはしんどいけど、自分の実力は自分が一番わかっている。
でも、クリエイターとしての自分をもう少し信じてみたい。
独立した大きな理由は、自分の天才としての才能が、どの程度なのかを試すためでもある。
天才か、秀才か、はたまた凡人か




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