「テレビクオリティ」は、武器か、それとも足枷か。
「映像を通して社会に貢献する」という立派な旗印(MVV)を掲げて起業した。
しかし、いざ実戦(ビジネス)の場に立つと、体に染み付いた「18年間の常識」が、時に自分を苦しめることになった。
それは、「過剰なまでのこだわり」だ。
テレビの現場では、1秒、いや1フレーム(1秒30コマのひとつ)の違和感も見逃さない。
視聴者の感情をどう動かすか、その一点のために膨大な時間と労力を費やす。
それがプロだと思っていた。
けれど、経営者としての一年目は、この「プロの流儀」と「ビジネスの論理」の狭間で葛藤する日々だった。
「そこまで作り込まなくていいから、安く早くしてほしい」
そんな無言の(あるいは直接的な)ニーズを感じる瞬間がある。
手を抜けば、利益は出る。
テンプレートに当てはめれば、数はこなせる。
深夜、ひとりで編集画面に向かいながら、ふと手が止まることがあった。
「これは、僕の自己満足なんじゃないか?」
「ここまで求めていないんじゃないか?」
それでも、どうしても譲れなかった。
テロップを出すタイミングが0.5秒ズレるだけで、伝わるニュアンスが変わる。
BGMの入り方がコンマ数秒違うだけで、見る人の印象は変わる。
迷いながらも、その「1フレームのこだわり」を捨てずに納品し続けた。
すると、ある時、クライアントからこう言われた。
「井上さんの作る動画は、なんかこう…『熱量』があるんですよね」
その一言で、救われた気がした。
僕が18年間やってきたことは、単なる「動画制作」ではなく、画面の向こうにいる人の心を動かす「演出」だったのだと。
効率は悪いかもしれない。
経営者としては、失格かもしれない。
それでも、「テレビクオリティ」という名の泥臭い人間臭さこそが、僕の最大の武器なのだと確信できた。




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