久しぶりに本気でキレた話

先日、ある上場企業のウェブメディアから記事依頼が来たので「取材」を受けた。
中小企業の社長に話を聞いて記事にするのだという。

しかし、結果から言うと、記事にすらならず、ただの時間の無駄となった。
でも一番キツかったのは、時間よりも、「取材」という行為そのものへのリスペクトのなさだった。

Podcast番組「日常はドキュメンタリー#7 最近、ブチギレた話」で、その真相を語りました。

ことの始まりは、うちのHPからの問い合わせ。
「井上さんをぜひ取材させていただきたいです!」と、わざわざ二度もメールをくれた。
そこまで言うならと、予定を調整して取材を受けることにした。

ところが取材当日。
現れたのは、メールを送ってきた本人とは別の担当者。

そこでまず「ん?」となる。

話を聞いてさらに驚いたのが、
・僕のことをほとんど調べていない
・HPもXもロクに見ていない
・どんな番組を作ってきたかも曖昧

つまり、「とりあえずアポだけ取って、あとは現場担当に丸投げ」な状態。

さすがにそれはおかしいと思って指摘したら、返ってきた言葉がすごかった。
「自分は今まで300社以上の社長を取材してきていて…」
「事前に調べすぎると、新鮮味がなくなるんですよね」
「読者が置いてきぼりになっちゃうので、あえて知らない状態で行くんです」

……は?

よくもまあ、18年間現場で取材してきた人間に向かって、そんな杜撰なやり方を、“優れた取材メソッドです”みたいな顔で語れるなと。

僕にとって「取材」は、テレビマンとしてずっと磨いてきたコアスキルであり、いちばんのプライドでもある。
テレビ時代から徹底してやってきたのは、むしろ上記の取材姿勢とは真逆だ。

取材前に相手のことを徹底的に調べる

HP、過去のインタビュー記事、Facebook、X。
どんな価値観で、どんな選択をしてきて、何を大切にしている人なのか。
好きなものや嫌いなもの、何を誇りにして、何に傷ついてきたのか。

全部頭に入れたうえで、あたかも「今日が初対面です」という顔をして、ゼロから根掘り葉掘り聞いていく

「知らないまま聞く方が新鮮」なんて、現場感覚から言えばただの言い訳だ。

知らないまま質問すると、表面のエピソードをなぞって終わるだけ。

知ったうえで聞くからこそ、
・その人自身が気づいていない矛盾
・言葉の端々に出る引っかかり
・過去と現在をつなぐ“核心”
そういうところまで掘れる。

パーソナルも人柄も、深掘りの質でまったく見え方が変わる。

今回の“取材担当”の人からは、正直、ただマニュアルに沿って質問を読み上げ、記事を量産しているだけにしか見えなかった。

相手のことを調べないのは、「そこに時間をかける費用対効果が悪い」からだろう。
つまり、こちらの人生や時間に対して、「そこまでコストを割く価値はない」と会社として判断している、ということだ。

さらに、話を進めていくにつれてわかったのが、こちらの会社のサービスを売り込む営業の目的でもあったということ。

それを「取材」と呼ぶのは、ちゃんちゃらおかしい。

分業に分業を重ね、効率とスケールだけを追いかけるあまり、ひとりの人間に向き合う時間がどんどん削られていく。

これはもう、大企業病だと思う。

ビジネス的にスケールだけを見れば、それで正解なのかもしれない。
でも「取材」という行為だけは、そのゲームに乗せてはいけないと僕は思う。

人に話を聞くというのは、その人の時間と人生を、少し分けてもらう行為だ。
何も知らない人より、自分のことをちゃんと調べてきた人に対しての方が、人は自然と心を開く。

そのリサーチの時間こそが、相手へのリスペクトそのものだ。

結局その“取材”は、途中で向こうが勝手にスイッチを切り、「御社の方向性が変わったら、またの機会に…」とだけ言って、あっさり打ち切られた。

18年間、現場で取材を続けてきた身として、ひとつだけ言いたい。

お願いだから、そのレベルのヒアリングを「取材」と呼ばないでほしい。

こっちは、自分の積み上げてきたものと、これからの時間をかけて、ちゃんと向き合おうとしているのだから。

▼詳しくは、こちらのPodcastで語りました。

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この記事を書いた人

井上 大輔のアバター 井上 大輔 映像ディレクター

TBSビジョン→テレビ朝日→NHK→株式会社草莽映像•代表/テレビ歴18年/『クロ現』『Nスペ』『世界遺産』『夢の扉+』など制作/YouTube“経営者ドキュメンタリー”『野望家たち』

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