過熱する中学受験、意味ある?

先日、この記事を見て、正直ゾッとした。

▶︎中学受験で難問続出「昔の開成より難しい」 親子も塾も近づく限界

中学受験を伴走している父親が「偏差値50前後の学校の問題が、昔の開成より難しく感じる」と語っていた

30年以上前、僕も中学受験を経験した。
当時はクラス30人中3〜4人、つまり“10人に1人”くらいの感覚。(僕は記念受験に近く、結果的に公立中学へ進んだ)

でも今は、5人に1人が中学受験を経験し、都内では「クラスの半分が受験」という地域もあるという。

実は、うちの子も受験に取り組んでいて、僕も一時は伴走していた。
ただ、あまりの過熱ぶりに、途中でドロップアウトさせた。

勉強に前向きなのは良い。
けれど、僕には“良い面”以上に“構造的な歪み”が目についてしまう

目次

パンクしないか?

中学受験は、かなりの部分が“詰め込み”だ。
算数ですら、初見で解くというより「一度は見たことがある型」に当てはめられるかが勝負になる。
結局、勉強時間の差が、そのまま成績の差になりやすい。

過熱すればするほど、子どもの勉強時間は増える。
その一方で、本来育まれるべき経験や感性はどうなるのか。
そもそも小学生に、そのストレスを受け止める“器”はあるのか

もちろん、受験に挑む価値もある。

小さいうちから「やりたいこと」を我慢して努力することで、成功体験が得られる。
勝ち取った子にとっては、強烈な自己肯定感につながるだろう。

ただ現実として、第一志望に行けるのは2〜3割程度。
残りの子たちは、結果と向き合いながら、自分の頑張りを“自分で回収する”必要がある

そこに加えて、この過熱具合。
入試問題がチキンレースのように難問化し、子どもたちはふるいにかけられていく。

一番しわ寄せが来るのが、偏差値50前後の“ボリュームゾーン”だという。

以前、中学受験専門塾の先生から聞いた話がある。
「ここまで頑張ったなら、どこかの私立には行きたいと思うのが当然。だから偏差値60近い層が“滑り止め”にする学校が、昔は偏差値を5下げるくらいだったのに、今は10以上下げる傾向がある」と。

つまり、偏差値50前後の学校は上からの“圧”を受けやすく、結果として競争が最も激しくなる。

二極化する学力

もうひとつの懸念は、学力格差だ。

中学受験をする小学生は全体の15%ほど。
問題が難問化するほど、受験組の学力は非受験組と開き、中学・高校の段階で“取り返せない差”になっていく

「公立中学に行った子が大学などの高等教育へ進む道」が、現実として“夢のまた夢”になりかねない。
これは教育格差そのものだ。

さらに気になるのが、不登校児童の増加。
小中学生で30万人超、全体の約4%。
11年連続で増え続けているこの数字は、看過できない規模だ。

彼らが学校に戻るとき、ただでさえ授業の遅れを取り戻すのは大変なのに、その先に待っているのは中学受験組との歴然とした差。

その時点で「高等教育を目指す」のが無理ゲー化してしまう。

まとめ

昔から言われているが、偏差値教育の問題が未だに根深い

中学受験組は、過熱する状況から抜け出すために勉強量を増やす以外になく、遊ぶ時間、家族と過ごす時間、場合によっては睡眠時間まで削る。

非受験組はその差を埋めるため、中学高校で逆転の受験勉強を行うが、その歴然とした差を埋めることに徒労感を覚え、ほとんどの子たちが高等教育への興味をなくしてしまう。

ましてや不登校になった時点で「落ちこぼれ」のレッテルが貼られ、未来が暗いという烙印が押される。

ここまで明確に示してみると「そんなのは教育じゃない」と誰もが言うはずだ。

しかし、現実の日本の教育システムも社会システムにも、まだ偏差値主義が色濃く残っている。
評価軸が偏差値に寄りすぎれば、高等教育を受けられるのは“偏差値の高い子だけ”になり、早い段階で人生の見取り図が固定されてしまう。

必要なのは難問化ではない。
評価軸の多様化だ。

探究心・応用力、表現力、コニュニケーション力、問題解決能力など、「別の勝ち筋」が、多様な評価制度として可視化されれば、教育は「ふるい」から「発掘」へと変わる。

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この記事を書いた人

井上 大輔のアバター 井上 大輔 映像ディレクター

TBSビジョン→テレビ朝日→NHK→株式会社草莽映像•代表/テレビ歴18年/『クロ現』『Nスペ』『世界遺産』『夢の扉+』など制作/YouTube“経営者ドキュメンタリー”『野望家たち』

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