久米宏さんの訃報で、Xでは「NHKの独立性」について再燃しているので、一枚噛んでみる。NHKと民放、両方の局員を経験した私だからこそ語れることがある。
まず初めに、NHKは日本で唯一、世論を本気で動かせる放送局だと思っている。
民放と違ってスポンサーがいない。
広告主の顔色を見なくていいという構造的なものは大きいからだ。
民放は、視聴率とスポンサーに縛られ、コンテンツが視聴者への迎合していくのは、個人の善悪の問題ではなくて構造の問題。
本来のメディアの役割を果たしきれない部分があるのは、ある意味で仕方がない部分がある。
だからこそ、公共放送であるNHKが担うべき役割は大きい。
スポンサーも、視聴率も、トレンドも、全部「二の次」にできる土台がある。
【本来メディアがやるべき内容】
・みんなが見たくない現実を、逃げずに可視化する
・政治にも企業にも都合の悪い事実を、淡々と積み上げる
・人気や炎上ではなく、社会の“真理”をつく情報を出す
こうした番組を制度的に見ても、作ることができるのは、NHKだけだと思う。
しかし、ここで“最大の矛盾”が出てくる。
NHKは「スポンサーから独立」しているのに、国家(政治)から独立できていない。
予算の入口が国会にあり、受信料の額も国会の承認(予算承認)と結びつく余地が法律に書かれている。
さらに、国会審議のプロセスでNHK予算が扱われる運用も積み上がっている。
「本質的な報道をやるほど、制度側の逆鱗に触れやすくなる」
この構造を、NHKは最初から抱えている。
そして最大の問題は、もっとリアル。
人間は、明確な命令がなくても、人事と予算を握られているだけで、勝手に空気を読み始める。
「怒らせないための編集」
「波風を立てないための言い回し」
「正面から刺さないための並列」
こういう“自己検閲”が、最も起きやすい土壌になる。
ここまで来ると、NHKが公共放送としての立場に疑問が残る。
「独立してる顔をして、全く独立してない」という話になる。
・政治からの距離を制度で担保するのか
・受信料モデルを維持するなら、独立の条件をどう作るのか
・いっそ民放化して、建前ではなく“独立”を取りにいくのか
テレビマンの大先輩が訴えた「NHKは独立した放送機関になるべきだ」という言葉を、勝手に遺言と捉え、ここに記す。




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