新年早々、挑戦的なタイトルになってしまった。
この話をするきっかけは、佐久間さんのYouTubeで「2026年、テレビマンが大量に辞めていく」みたいな話が出ていたこと。
正直、あれは“予言”じゃなくて、すでに現場が鳴らしてるサイレンだと思う。
いまテレビの世界では、根っこの圧力がどんどん薄れていく気がしている。特にエンタメは、需要そのものが加速度的にテレビから離れていく。
理由はシンプルに2つ。
1.人材が流出する
才能がある人ほど、時間も体力も削りながら「これ、誰のために作ってるんだっけ?」って自問する。
そして気づく。規制が少なく、チャレンジできて、ちゃんと報われる場所が“外”にあることに。
2.制作費が削られ続ける
面白いものを作るには、アイデアだけじゃなく“体力(予算)”がいる。
その体力が痩せていけば、勝負は最初から決まってしまう。
象徴が「大晦日の格闘技」だと思う。
かつて年末の風物詩だった“地上波の格闘技”が消え、PPVへ移っていった。
そして同じ頃、広告も視聴者も、より自由で、より熱量の高い場所(ネット)へ流れていく。
お金があるところに人が集まり、人が集まるところにコンテンツが生まれ、コンテンツが生まれる場所にさらにお金が集まる。
もうこの循環は止まらない。
エンタメは2026年以降、さらに加速して「テレビじゃない場所」が主戦場になっていくと思う。
じゃあ「テレビを含むオールドメディアは全部終わるのか?」と言われると、そこは違う。
報道だけは、話が別だ。
ネットで「オールドメディアは信用できない」って言われる時代。
でも、その“批判の根拠”を辿ると、結局テレビや新聞の記事だったりする。
自分で一次情報を集め、裏を取り、責任を持って編集し、届ける。
それを毎日やり続けるのは、片手間では無理だ。
本業がある人が、日常の中であれを全部やるのは現実的じゃない。
だからこそ、報道が弱体化するのは、単に「テレビが衰退した」では終わらない。
国の情報の土台が揺らぐ。
デマと切り取りと感情だけが増幅し、社会がじわじわ不安定になる。
これはエンタメの“覇権争い”とは違う。
国の安全保障に近い話だと思ってる。
まとめると——
- エンタメは、テレビからネットへ、面白さも人材も予算も、さらに移動していく
- 一方で報道・公共性の領域でテレビ(オールドメディア)が崩れると、社会の土台が揺らぐ
- 2026年以降は「テレビが終わるか」じゃなく、「報道の信頼と体力をどう守るか」が本丸
ここから先、問われるのはたぶんこれ。
“テレビの延命”じゃない。
社会の情報インフラをどう再設計するかだ…!
▼Podcastで、テレビ局員大量退社問題について語りました!




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